「ちゃんと笑ってる」のに、なぜか近づけないときがある
会えばあいさつもするし、ちゃんと笑顔も返してる。
悪い空気があるわけじゃないし、会話も一応はしてる。
それなのに、なぜか心の距離がずっと、縮まらないまま——そんなことって、ありませんか?
私にも、そういう人がいます。
「もっと仲良くなりたいな」って思ってるのに、
話してると、なぜかちょっと気疲れしてしまって、「あれ?」ってなる。
相手はぜんぜん悪くないし、むしろいい人。
なのに、どこかでずっと"よそ行きの自分"のままでいる感覚。
きっと、そんな日が……いや、よく考えると、けっこうあるかもしれない。
壁を作ってたのは、もしかしたら自分の方だった
あるとき、ほんのささいな瞬間に思ったんです。
「もしかして——向こうが冷たいんじゃなくて、こっちが"壁"を作ってたのかも」って。
よく見れば、笑顔も言葉も交わしてるけど、
私はどこかで「ちゃんとした自分でいなきゃ」って、ずっと緊張してた。
変に思われたくなくて、嫌われたくなくて、だからこそ、妙に慎重になってたんだと思う。
でもそれって、相手にとってはきっと「見せてもらえてない」感覚だったのかもしれない。
そのことにふっと気づいた瞬間、なんだかちょっと恥ずかしくなった。
本音を出すのが怖い。それって、そんなにダメなこと?
私、自分の中にある"ちょっとした本音"や"違和感"を、つい飲み込んじゃうクセがあるんです。
「これを言ったら空気悪くなるかな」とか、
「気にしすぎかもしれないしな」って、ひとりで勝手に我慢する。
で、あとからモヤモヤして、また落ち込む。
正直に言うと、「本音を出せない自分」をずっと責めてました。
でもある日、ふと思ったんです。
「それって、ただ"弱い"だけじゃなくて、"大事にしたいものがある"からじゃない?」って。
関係を壊したくない。相手を傷つけたくない。
だから慎重になる。言葉を選ぶ。
それって、ある意味で優しさや思いやりの形なんじゃないかなって。
MBTIで気づいた、自分の"慎重さ"の正体
私、MBTIでいうと「I(内向型)×F(感情型)×J(判断型)」寄りの人間です。
I型は、もともと人との距離感に敏感で、無理に踏み込まずに見守る。
F型は、相手の気持ちを優先して、自分のことを後回しにしがち。
J型は、状況や関係性に「こうあるべき」みたいなルールを持ち込みやすい。
あぁ、そうか。
"気を使いすぎる自分"にも、ちゃんと理由があるんだな。
ただのビビりとか、気にしすぎとかじゃなくて、
それは「つながりたい」と「傷つきたくない」の間で、自分なりに一生懸命選んでる姿だったんだ。
そう思ったら、少しホッとした気持ちになれました。
壁を壊さなくてもいい。少しだけ、開けてみるだけでも
私、最近思うんです。
「壁」って、壊さなきゃいけないものじゃないんじゃないかって。
無理に"素"を見せる必要なんてないし、全部を話すことが信頼の証とも限らない。
でももし——
ほんの少しだけ、自分の中にある言葉や気持ちを出してみたら、
空気がちょっとだけ、ふわっとやわらかくなったことがありました。
たとえば…
- •「ちょっと緊張しててさ」
- •「うまく言えないけど、伝えたいことがあるんだよね」
- •「実は、さっきちょっと気になってて……」
そんな小さなひとことでも、相手の表情が変わったり、
こっちの気持ちが少し軽くなったりしたんです。
もちろん、うまく伝わらない日もあるけど、
それでも「少し開いてみた」っていう体験は、心に残ってます。
まとめ:「距離」は悪いことじゃない。でも、優しく気づけたら嬉しい
人との距離との向き合い方
- •誰かと距離を感じてしまうのは、「もっと近づきたい」と「でも傷つきたくない」っていう、大事な気持ちの揺れがあるから
- •その揺れは、決して間違いじゃない。むしろ、それだけ人との関係にちゃんと向き合ってる証
- •「壁があること」に気づけたら、それだけで優しさの一歩かもしれません
無理に近づかなくていい。
でも、「ちょっとだけ扉を開けてみたい」と思ったときは、
ポケットの中にある小さな言葉を、そっと差し出してみてください。
完璧じゃなくても大丈夫。うまく言えなくてもいい。
その"カチリ"という小さな音が、
あなたと誰かとの距離を、すこしだけ近づけてくれるかもしれません。
この記事のポイント
- •距離感が「合わない」相手がいるのは、自然なこと
- •「壁」は防御でもあり、自分を守る大切な境界線
- •MBTIの視点で見ると、自分の慎重さの理由がちょっと見えてくる
- •無理に近づかなくても、違いを認めるだけでいい関係もある
※「MBTI®」はThe Myers-Briggs Companyの登録商標です。
本記事は教育・自己理解を目的として執筆されており、公式なMBTI診断とは一切関係がありません。



